乱読サラリーマンのオリジナル書評

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書評:下天を謀る

藤堂高虎といえば主君を七回も変えたことで変節漢、処世術に長けた世渡り上手のような印象の強い御仁です。本書を読めばその印象は誤っていることに気づくでしょう。もっばら最近では築城名手の智将として評価が高くなってきた戦国武将です。

本書は高虎をただの智将ではなく、大義を貫いて生き、家康と二人三脚で泰平の礎を築いた英雄として見事に描かれています。

 

下天を謀る(上) (新潮文庫)

 

 

下天を謀る(下) (新潮文庫)

 

 

最初の主君浅井長政が信長に討ち果たされてからは、浅井旧臣を主君とするが反りが合わず浪人となります。そこを羽柴秀長に雇われ才覚を磨き、主君秀長から高い信頼を得ます。いっぽう高虎も秀長の領民への慈悲深い国家観を崇め敬愛し、相思相愛の主従関係を結びます。しかし、一生尽くしていくと誓った秀長は病に没し、秀長の跡を継ぐ養子(甥)である秀康も非業の死を遂げ悲観した高虎は出家して高野山へと向かうこととなりました。

 

しかしながら高虎の才覚を惜しむ時の天下人秀吉に雇われ高虎は再び戦国の世に戻ります。秀吉亡き後は家康の信頼を一手に受け関ケ原合戦から大坂の陣まで官房長官のような働きをなします。

 

本書の見どころとして、

泰平の世のためには、秀頼を臣下とすることを望んでいた家康は秀頼と二条城で対面する策をとろうとします。

ただ、対面も一筋縄ではいかない政治的状況の中、豊臣恩顧の筆頭格である加藤清正に二条城での対面いついて高虎が説得する場面があります。

 

以下に引用します(下巻P221)

 

清正は豊臣家への恩顧がありながら、自らの領地を守るため、秀頼の対面を受け入れるときの心境を

 

清正『与右衛門(高虎)殿、無念である。』・・・中略

『身の内の欲に負けるからでござる』

 

高虎『そうではあるまい。肥後一国の太守となったからには、忠義より大義に生きるべきではないか』

 

清正『忠義を捨てて大義が立ちましょうか』・・・

 

清正は大義の前に忠義ありと考え、高虎は忠義より前に大義がある、大義の無い忠義には意味が無いと説きます。もっと辛辣に言い換えれば大義の無い人への忠義などクソくらえ、世の中の何の役にも立たないばかりか悪にもなる・・・とも捉えられるが、やや言い過ぎであろうか。

 

秀吉死後高虎は家康の大義に惚れ続け、家康への忠義を全うする。家康死去の際には外様大名ではあるが、枕元に居たとも伝えられます。

大男の武辺者が主君を変えながら、時代を読む力を蓄え、偉人となってく姿は、先の読めない現代社会でも示唆を受けます。