乱読サラリーマンのオリジナル書評

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【書評:諸子百家(中公新書)】・・・読後に墨家について考える

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

 

今から2000年以上も前の古代中国の春秋戦国時代には偉大な思想家たちが活躍していました。
本書は、その思想のエッセンスが興味を持つのと理解しやすい構造で平易に述べられています。

情けなくも、私は儒家孔子孟子)、兵家(孫氏)はほんの少しだけ興味を持っていましたが、墨家道家、法家などは本書を読む前は殆ど無知に近い状態でした。

 

そんな私が様々な思想が読み進めた中、強く興味を引いたのは墨家についてです。墨家とは、当時儒家と二分するほどの思想集団であっただけではなく、一種の軍事組織であり、それも義勇兵部隊とも思える思想集団でした。

 

墨家は「非攻」を説きます。民の間で殺人が起これば犯罪で罰せられる。しかしながら国家間の戦争による殺し合いは正当化される。

この矛盾について堂々と反論の思想を述べたのが墨家です。ただ平和を主張するのではなく、侵略されそうな国家を救うべき傭兵部隊として表出し、守護神の如く数多の戦いに参加します。墨守とは墨家が高度な戦術と兵器を持って強固な守備を築いたことが由来の言葉です。墨家とは非攻を貫き、理想を求め専守防衛のために高度に組織化された義勇兵部隊でした。

 

そして墨家は単なる専守防衛部隊でなく、多大な影響を与えた思想集団でもあります。その思想のキーになるのは「兼愛」です。

 

 

墨子は、すべての人が自分を愛するごとく他者を愛すれば、世の乱れはなくなると説く

 

もし、天下中の人々に自分と他者とを兼ねて愛するようにさせ、他人を愛すること、まるで我が身を愛するかのようにさせれば、それでもなお、不幸なものがいようか。

~中略

このようにすれば、不幸・不慈の者はいなくなるのである。

(P133~P134)

 

人間関係から考えれば、至極真っ当な説であり、その説を貫くために、傭兵部隊となって侵略された側を助けた墨家であすが、崇高な義のために専守防衛の戦いに勝ち進んでいった墨家は最後集団自決という形で忽然と消滅します。


楚王の攻撃についに敗退した墨家は、集団自決をします。時の総帥”孟勝”が集団自決を決断しようとしたとき弟子は孟勝にたいして、墨者が全滅し教えを伝えるものがいなくなれば墨家の思想が途絶えると、具申します。しかし孟勝は「それでは墨者の信用は失墜し、たとえここで生き延びても、墨者の活動はできなくなるだろう。ここで義のために死ぬことこそが墨家の思想を後世に存続させる唯一の方策である」と説得し全員自決することとなります。

 

この凄烈な集団とその思想は我々に何を示唆しているのだろうか。思想は崇高であるが、その思想を絶対的行動指針として常に貫き通せるほどの強靭な心を持っている人は少数である。墨家の思想の根本に人間性弱論ともいうべき思想がなかったのが墨家が消滅した原因なのではないでしょうか。