【書評:墨攻】戦乱の世に彗星のごとく現れ、古代中国を席巻した思想集団”墨家”の果てを考える
「墨守」という言葉はご存知でしょうか?
頑固に自説を曲げないこと、融通がきかないことを意味する言葉です。言葉の由来は墨家集団が、戦術や兵器を駆使して敵の攻撃を耐え堅守したことから来る言葉です。
墨家になぜ興味を持ったのかは下記ブログをご参照ください。
非攻、兼愛など、他の集団とはひと味もふた味も違う特異な思想集団であった墨家の魅力をあますことなく描いた物語が本書です。時代背景と作者の架空の物語が織り交ぜて書かれている傑作です。
墨家集団の軍事の鬼才”革離”は孟勝亡き後の墨家集団の鋸子(≒総帥)との意見の衝突によりから、一人で国境にある小城の小国である梁に軍事支援者として赴きます。
いっぽう小城の梁は近く大軍を率いて侵略にくる趙に攻め滅ぼされるのを防ぐため、墨家の鋸子に援軍を頼みます。あらわれたのが、みすぼらしい格好をしてなんと一人で訪れてきた革離でした。
名の知れる傭兵部隊である墨家の革離でしたが、そのみすぼらしい風貌から、怪しんで蔑む梁の城主たちでした。しかしながら大軍が攻め寄せてくるという成り行き上止むを得ず、みすぼらしい風貌の革離に軍事の全権を与えてしまいます。その結果、全権を手に入れた革離は墨家の軍事戦術と取り入れるだけではなく、類いまれなる統率力を発揮し村人の心をも掴んで来るべき戦に備えます。
この物語を読み終えると、なぜ隆盛を誇った墨家が消滅したのかがみえてきます。
墨家の義のために集団自決した前鋸子”孟勝”と同じ轍は踏まぬとして墨家の生き残りを目的に大国”秦”と結ぶことを考えた現鋸子。
いっぽう、侵略戦争から弱者を守る墨家のアイデンティティを貫くべく、鋸子と別れ一人墨家として梁に赴いた孟勝を敬愛して止まぬ革離。
誰もが革離の義を応援したくもなるが、反面生き残るためには環境に適応し、変化をしなければいきていけない。これまた事実。
思想というものは、長きにわたり語り継がれていくことは可能であるが、思想で繋がっている集団というのは人という不確実性の高い存在が介在するため、言葉だけと違い長きにわたり生き残るのは困難なのであろう。
春秋戦国時代が終焉し、始皇帝が秦で大国を平定した後、墨家は歴史の舞台から忽然と消滅します。それは墨家という強烈な思想からくる集団存在そのものを考えると必然であった。
しかしながら、墨家の思想は今でも人々に読まれ続けています。