乱読サラリーマンのオリジナル書評

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故郷日本に帰れなかった国際人 音吉(ジョン・マシュー・オトソン)

ペリー来航から遡ること16年前の1837年1台のアメリカ商船が浦賀沖に現れる。当時の江戸幕府は日本沿岸に接近する外国船は砲撃するいわゆる異国船打払令を発しており、浦賀奉行はそのとおり砲撃する。

 

実は浦賀沖に現れたアメリカ商船モリソン号には7名もの日本人漂流民が乗船しており、漂流民を送還するために遥々日本までやってきたのであった。7名の漂流民のうちの一人がこのブログの表題になっている”音吉”である。

 

音吉含めた14名はモリソン号事件の5年前に現在の愛知県美浜町から江戸に向けて出航した。しかし船は漂流し1年2か月後に現在のアメリカ西海岸にたどり着く。長い漂流生活で生き残ったのは音吉・岩吉・久吉のみとなり、3名はインディアンに救助される。インディアンは彼らを奴隷のように扱った後にイギリス船に売り払う。その後イギリスは善意なのか、はたまた漂流民を鎖国状態との日本との交渉手段として考えたのかはわからぬが、音吉含めた3名はイギリスに上陸する。

 

なんと彼ら3人はイギリスに上陸した初の日本人となった。さらには、まだそこから200年も経っていないというのも驚きである。

 

その後マカオ経由で日本に送還することとなり冒頭の浦賀沖まで船は向かう。砲撃されたモリソン号は薩摩に向かうが、ここでも砲撃され日本人は結果的に祖国から見放されてしまう。

 

 

音吉は異国で家庭を持ちながら同様に過酷な運命の日本漂流者を労り帰国へ尽力しながら明治維新の1年前の1867年にシンガポールで帰らぬ人となる。

 

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異国シンガポールで荼毘に付されていた音吉の遺骨は2005年に当時の美浜町長らの手によって173年ぶりに祖国日本に戻ってこれることになりました。

 

(良参寺)

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鎖国という英断により泰平の世が生まれたとはいえ、既に200年もたてば、制度疲労が起きていたといっても過言ではない。

自然に抗えず想定外の悲劇に見舞われただけではなく、歴史に翻弄され続けた音吉。
待望の祖国への帰還を前に祖国からの砲撃を目の当たりにした時の絶望感はいかなるものだったのだろう。

 選択肢の多い今の日本に生きていることに感謝の気持ちを持って生きていこう。

 

(参考文献)

 

 

海嶺 全3冊合本版 (角川文庫)

漂流した音吉・岩吉・久吉3人の過酷な人生を通して祖国とは何かを考えさせてくれる大作です。