書評:幕末史
勝者の歴史に対するアンチテーゼとでもいうべきなのだろうか、
最近”反薩長史観”なるキーワードをよく聞きます。
本書は2008年に大学での講義を基に作成された書でありここ数年の反薩長史観が溢れてきてからの書ではありません。著者の本は初めて手に取りましたが、平易且つ口語調で書かれており、時代の流れが良く理解できます。著者のまえがきには反薩長史観を述べています。主張は客観的な事実を基に主観で書かれており、昨今の反薩長本と比べても、穏健に書かれていて誰でも読みやすくなっています。他の反薩長史観本のような戊辰戦争時の薩長の卑劣な行為にはそれほど紙面を割いていません。
幕末維新をよく考えるためには時代と人物を以下の3つに分けて考えるとすっきりします。
1、開国前後から桜田門外の変
今まで一部の上位官僚だけで幕政を取り仕切っていたのを、黒船来航を機に様々な立場の民から意見を広く求めたことが、その後の混乱への序章となるのがポイントである
広く意見を集め最適な解を求めることと、国を統率し統治を固めることができなかった。そもそもこの二つを両立することはなかなか困難ではある。それは現代でも変わらない。
様々な意見が世に溢れ、それを鎮めようと安政の大獄に走るが、最後は桜田門外の変で幕府の権威は失墜する。
続きを読む故郷日本に帰れなかった国際人 音吉(ジョン・マシュー・オトソン)
ペリー来航から遡ること16年前の1837年1台のアメリカ商船が浦賀沖に現れる。当時の江戸幕府は日本沿岸に接近する外国船は砲撃するいわゆる異国船打払令を発しており、浦賀奉行はそのとおり砲撃する。
実は浦賀沖に現れたアメリカ商船モリソン号には7名もの日本人漂流民が乗船しており、漂流民を送還するために遥々日本までやってきたのであった。7名の漂流民のうちの一人がこのブログの表題になっている”音吉”である。
音吉含めた14名はモリソン号事件の5年前に現在の愛知県美浜町から江戸に向けて出航した。しかし船は漂流し1年2か月後に現在のアメリカ西海岸にたどり着く。長い漂流生活で生き残ったのは音吉・岩吉・久吉のみとなり、3名はインディアンに救助される。インディアンは彼らを奴隷のように扱った後にイギリス船に売り払う。その後イギリスは善意なのか、はたまた漂流民を鎖国状態との日本との交渉手段として考えたのかはわからぬが、音吉含めた3名はイギリスに上陸する。
なんと彼ら3人はイギリスに上陸した初の日本人となった。さらには、まだそこから200年も経っていないというのも驚きである。
その後マカオ経由で日本に送還することとなり冒頭の浦賀沖まで船は向かう。砲撃されたモリソン号は薩摩に向かうが、ここでも砲撃され日本人は結果的に祖国から見放されてしまう。
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書評:奸婦にあらず
井伊直弼は、徳川四天王の井伊直政を始祖とする彦根藩主の十四男として1815年に生まれました。聡明ではありながらも、庶子であり、十四男という境遇からは自他共に藩主への登用は限りなく薄いと思われていました。部屋住みとして静かに暮らしつつも成すべきことに精進し武道に茶道も極め和歌もたしなみ高い人格を備えるようになりました。直弼の部屋の名は、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え”埋木舎”。なんとも優美で品位のあるネーミングでしょうか。
そんな若君を愛しく想い相思相愛であったのが本書の主人公である『村山たか』です。村山たかは、はじめ多賀大社の諜報部隊として井伊家に送り込ます。神社も生き残るためには忍びをも利用する。大社は井伊家だけではなく朝廷などの機密情報を仕入れ、人脈を利用しながら、社格を守り続けます。キリスト教の歴史を考えても宗教が後世に影響力を残すためには政治的センスも必要条件なのでしょう。しかしながら、たかは、そんな忍びの掟を忘れさせるほど次第に直弼に情愛を傾けます。
そんな二人の前に鬼才の国学者『長野主膳』が現れます。3人は同志として日本の行末を案じしっかりとスクラムを組んで未来の舵取りしていきます。開国しかり、安政の大獄しかり直弼の政策の断行には常に二人のパートナーがいました。しかしながら直弼は桜田門外の変により水戸浪士に暗殺されてしまいます。
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書評:流星ワゴン
過去は変えられないけど明るい未来を築くためには人はどうすればよいのか・・・
冒頭のテーマを不思議な3組の父子の物語を巡って紐解いてみよう。
一組目は既に家庭崩壊が突き進み受験に負けた子供とリストラにあい死のうとしている父子。二組目は前述のリストラにあった父と、なぜか同い年として降臨してきた厳しい親父。そして上述の二組の父子を人生のターニングポイントへタイムマシンの操縦者のように連れていく役目を悲しい交通事故で亡くなり幽霊となった父子が務める。
死のうとしていた永田一雄は5年前に事故で亡くなった幽霊父子のワゴン車(タイムマシン)に乗車して過去の人生のターニングポイントに連れてこられる。一雄ははじめは渋々ながら徐々に未来を変えるために不器用ながら励み勤しむ。そこに現実世界では死を間近に迫ってる実の父が表れ同い年の朋輩となって何かと世話を焼きながら同行する。でも現実に戻れば何も変わってない。ファンタジー小説であるが現代だけではない普遍の親子関係の問題を考えさせられながら物語は進んでいく。
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山一證券倒産の教訓は
果たして自分がこの境遇だったら、毅然とした態度で組織の膿を公表しながら前に進むことができたのだろうか・・・
今から遡ること20年前、1997年11月24日に当時の山一證券社長は自主廃業の記者会見の最後に「私らが悪いので、社員は悪くありません。一人でも多くの社員が再就職できるように、この場を借りて、お願いします」と涙で訴えた。
これより30年ほど前にもこの巨大証券会社は倒産の危機を迎えていた。当時は大蔵省主導の下、日銀特融にメーンバンクの支援、その他有志による新体制へのバックアップもあり、危機を回避した。融資も「いさなぎ景気」の到来により、4年で返済し、奇跡の復活を遂げた。
しかしながら、危機回復の反動として、次期幹部候補といわれる組織のメンバーが次々に会社を去ることとなる。その結果その後の社長は通常MOF担といわれる大蔵省とのパイプ役企画室長出身者が続くこととなる。バブル期からは、最前線の営業部隊は法人相手に利回り保証という法律違反の営業に邁進しバブル崩壊と同時に簿外債務を抱えるこ。当然ながら簿外債務も法律違反である。
何年もの間法律違反を隠し続ける中、その暗闇を何も知らずに内部昇格で先述の記者会見の社長は任命される。同時期に起きた総会屋事件で10人以上の上席取締役が辞任した末の指名人事であった。
もう一度冒頭のメッセージを書き記す。
果たして自分がこの境遇だったら、毅然とした態度で組織の膿を公表しながら前に進むことができたのだろうか・・・
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