乱読サラリーマンのオリジナル書評

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山一證券倒産の教訓は

会社がなぜ消滅したか―山一証券役員たちの背信 (新潮文庫)

 

果たして自分がこの境遇だったら、毅然とした態度で組織の膿を公表しながら前に進むことができたのだろうか・・・

 

今から遡ること20年前、1997年11月24日に当時の山一證券社長は自主廃業の記者会見の最後に「私らが悪いので、社員は悪くありません。一人でも多くの社員が再就職できるように、この場を借りて、お願いします」と涙で訴えた。

これより30年ほど前にもこの巨大証券会社は倒産の危機を迎えていた。当時は大蔵省主導の下、日銀特融にメーンバンクの支援、その他有志による新体制へのバックアップもあり、危機を回避した。融資も「いさなぎ景気」の到来により、4年で返済し、奇跡の復活を遂げた。

しかしながら、危機回復の反動として、次期幹部候補といわれる組織のメンバーが次々に会社を去ることとなる。その結果その後の社長は通常MOF担といわれる大蔵省とのパイプ役企画室長出身者が続くこととなる。バブル期からは、最前線の営業部隊は法人相手に利回り保証という法律違反の営業に邁進しバブル崩壊と同時に簿外債務を抱えるこ。当然ながら簿外債務も法律違反である。

 

何年もの間法律違反を隠し続ける中、その暗闇を何も知らずに内部昇格で先述の記者会見の社長は任命される。同時期に起きた総会屋事件で10人以上の上席取締役が辞任した末の指名人事であった。

 

もう一度冒頭のメッセージを書き記す。
果たして自分がこの境遇だったら、毅然とした態度で組織の膿を公表しながら前に進むことができたのだろうか・・・

 

 

危機が発覚したのではなく、危機が発覚して何年もの間、危機をずっと隠し続けてたという事実の引き継ぎを受けた 。さらにはその悪事を働いた人たちが組織の中枢に駆け上っていったという事実もある。

 

難局に立ち向かった経営陣は知らずに引継ぎした新会長と新社長と経緯を知っている一部の役員だけである。悪意の簿外債務の事実は社内にも秘匿事項として企業の延命のため試行錯誤しているだけであった。
大蔵省に暴露したのが自主廃業のなんと10日前、大蔵省はすぐさま自主廃業の路線を決定する。取締役に暴露したのが自主廃業の数日前であった。

 

自主廃業回避に向けた渉外活動も隠蔽を前提にしては、交渉の手札が限られる。廃業は免れない歴史であっただろう。

企業コンプライアンスコーポレートガバナンスの強化、護送船団方式との決別と続く改革はここから始まったように感じる。

 

自主廃業後の熱い物語はこちらを!

 

しんがり 山一證券最後の12人 (講談社+α文庫)