年功序列と徳川太平の世
幼い時代に耐え忍ぶことを身につけ、織徳同盟時代には戦闘力を蓄え、秀吉の世には政治力を駆使して、老年となり幕府を開いた徳川家康。
家康の政治力の凄味といえば、将軍後継つくりにある。秀頼・淀殿がまだ余力のあった時代に征夷大将軍となり江戸幕府を開くが、2年後には嫡男秀忠に将軍の座を譲り、世の中に真の徳川政権を認めさせる。
3代将軍指名時にも政治力を発揮する。家康は、大坂の陣の前に秀忠の跡継ぎに家光を指名する。長子相続が当然のように思えるが、当時は次男国松が利発で家光に将軍の座はこないと思われていたようである。
今の時代、企業において年功序列とは古い時代の経営の悪習のようにとろえることが多いが、もう少し奥深く考えてみたい。
年功序列(長子相続)は誰が見てもわかりやすい序列である。いっぽう成果主義・実力主義など一見公平公正な処遇のように思えるが、
なにをもって成果なのか?
なにを持って秀でた実力というのか?
実はここが容易そうで実は困難な見極めとなる。成果・実力というのはいつの時代も不安定なものである。ましては当時はITもなにもない時代である。数値に置き換えることもさぞ困難であったに違いない。
不確定な成果や実力ではなく、長子(年功)というすべての人が上下関係が理解できるシステムこそが年功序列でもあります。
家康の英断、生まれながらの将軍と自ら語りながら、家康を敬愛していた家光の物語、いまの企業経営にも役立つヒントがあるはずである。
家督相続にまつわる骨肉の争いとそれに伴う国内の混乱の目を摘み、長子相続という誰にもわかりやすい後継者をたてた家康。その祖父の意向を受け継ぎ太平の世に邁進した家光。
二人の偉人の胸中を東照宮を見ながらふと考えてみよう。