乱読サラリーマンのオリジナル書評

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【書評:維新の肖像(安部龍太郎著)】 失政はどこから生まれるのか

維新の肖像 (角川文庫)

 

平和の提唱者として、日露戦争を正義のための衝突と肯定し、戦後交渉でも力を発揮した朝河貫一。しかしながら、朝河の思いとは別に日露戦争後、日本は帝国化へと突き進むことになります。母国の変節ぶりを考慮した朝河は1909年に今なお読み続けられている【日本の禍機】を発表しました。

 

 

 

近い将来の災いへの警報を鳴らした朝河の予測通り誤った道を進み続けた日本は満州事変や上海事変を起こし、世界の列国から孤立への道を歩むことになります。

 

物語は反日感が強くなる1932年当時イェール大学で教鞭をとる朝河貫一と二本松藩士として戊辰戦争を戦った貫一の父朝河正澄の1968年当時と異なる時代の二重構造で進んでいきます。

 

 

朝河貫一は御一新の一部分ともてはやせれてた明治新政府戊辰戦争を、自作自演で満州事変を起こした軍部と同根の愚行と気づきます。同根の愚行かどうかはさておき、明治新政府による会津及び奥羽越列藩同盟への戊辰戦争そのものを本来は避けるべきであった悲劇の内戦の歴史として内省するメンタリティは日露戦争後から太平洋戦争の時代のの日本首脳陣には持ち合わせていなかったのは事実でしょう。

 

もし、戊辰戦争を失政と考えた首脳陣がいたとします。しかしながらその失政を向後のため、語り継ぐ人達がいなくては、組織としての見識の向上には繋がりません。そう考えますと、組織が過去の失敗を内省して同じ過ちを繰り返さず成熟するためには、個人が自らの失敗を内省して、意識・行動を変えることと比較して、変化するまでの期間は組織の変化までの期間の方がどうしても長期になってしまうのは避けられない事実なのかとも思えます。

 

明治維新の是非については、私も多くの書籍を読みながら疑問に思うことは多々あります。しかしながら、日清戦争日露戦争の勝因は、強引にでも進めた明治維新後の近代化によるところが大きいのも事実です。産業や工業などのハード面では欧米列強に追いつくことはできたが、世界の一員としての日本の意識というのは、まだまだ未熟であったとも思えます。

 

『勝てば官軍』とは戦いに勝った方が正義であり負けた方が不義であるの例えです。いっぽう名将野村克也氏の名言に『勝ちに不思議な勝ちはあり、負けに不思議な負けはなし』とあります。本書を読み終えて気づくことは、為政者、指導者たるもの、買った結果に満足度するよりも前に不思議な勝ちかもとプロセスや大義を客観的にみつめる意識と能力が必須であると思います。

 

本書を読むまで、平和の提唱者であり偉大なる歴史家を存じませんでした。偉大なる歴史家の書かれた【日本の禍機】を今度手に取ってみよう。